メンタルポイントが赤ゲージに突入したようです

ふと、とらを見るとしっぽがなんか短い。
ん?
しっぽがなくなってるΣ (´Д`ノ)ノ!?

断尾!?
え、どゆこと(||゚Д゚)ヒィィィ!

じとめ「抜けたしっぽはそこに落ちてるにゃ」

ほんとだ、なんだこれ
とりあえず動物病院だ!!

先生、急患です!
しっぽが抜けました・゚・(ノД`;)・゚・

わめきながら病院に入ると
なんだなんだと他のお客さんに囲まれる。

先生「慌てて来たから腸閉塞かと思った」

・・・(||゚Д゚)へ?

っていう夢を見た。



疲れてるのかな。
疲れてるんだろうな(´∀`;)

とらもナチュラルにしゃべってるし
ほんと何だったんだ・・・(´∀`;)


会社でもしんどいオーラがだだ漏れしているらしい

まぁ、そんなこんなで
とらは元気なものの飼い主が逆に元気じゃないらしく
会社で時々「何かあったの?」と突っ込まれることしばしば。
普通に過ごしてるつもりなんですけどね
漏れるのですな(´∀`;)

まぁ、なんといいますか

ブログでは正直に何度も申し上げておりますが

地味にしんどい。

「突然死、容体の急激な悪化の可能性があります。
どちらにしても突然です」

なんていわれたら、
仕事から帰ってきてドアに手をかけた瞬間が
一番緊張するんず(´∀`;)

今からこんな不安に思っててもしょうがないのにね(´∀`;)


そもそも「突然死の可能性」だけならみんなあるぞ

突然死…突然…。

昨日まで当たり前だったことが
今日になって当たり前じゃなくなる変化

…ん(´∀`;)

「突然死」の「可能性」ってだけなら
みんなあるんだよな(`ω´;)

猫だけじゃなく人も。

人なんかは交通事故にあうかもしれないし、
猫も風呂場で溺れたたとか、感電したとかがないわけでもないし。

と考えると
突然死の可能性なんてみんな持ってるのに
なんで改めて宣告されるとこんなにしんどいんだろうな(`ω´;)


宣告されると自分だけの物

昨日まで同じだったから明日も同じだろう
昨日まで生きてきたから明日も生きているだろう
って考えているところに
不意打ち食らわせられるからかな(´∀`;)

うぅむ(´∀`;)

交通事故は毎日起こっているけれど
自分とは無縁な感じがするのが一因か。

宝くじ→自分だけは当たる気がする理論
の逆で
交通事故→自分だけは合わない気がする
みたいな(´∀`;)

言い方悪いけれど他人事。

ところが、

病気です、突然死の可能性があります。

となると、自分事。

自分の中に死の要因ができちゃって
逃げられやしないし
あとはもう、自分の中で発現するかしないかの
問題にすげ変わり
死に対する現実味が顕著だからか(`ω´;)

「昨日も今日も元気だったから明日も元気」
が覆されるんずな


理屈こねくり回して考えてみましたが

というわけで、

突然死の可能性を示唆されるとしんどいのは、
すべての生き物が突然死ぬ可能性を持っているとはいえ、
外的要因での死は、常に意識しないが
内的要因での死は、意識せざるを得ないから、
突然死の可能性を示唆されるとしんどい

というのを先輩に伝えてみたところ、一言

「愛情があるからしんどいでしょ」

と返された。

Σ (´Д`)!!

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・・・そだね(´∀`;)